月の光

6/23/2006

日本語の間のカタカナどう思います?

加賀野井秀一『日本語を叱る!』(ちくま新書,590,2006)を、ここ数週間、湯船に浸かりながら読み進めてきた。
ついつい、日本語を話しながら、その間に外来語を持ってきてしまったり、それが略語だったり。立ち返ることのできる言葉があるならまだしも、どういう経緯で何をもとにできた言葉なのかが分からない、そのような言葉も使ってしまう。このような言葉は、自分が所属しているある仲間内の中では通じるが、それを離れる途端に通じなくなる。このことから、こうした言葉は、知らぬ間に仲間内以外を排除する機能を発揮していたり、同時に、話す者がそうしながらタコツボ化している、そのような指摘をした本である。
テニオハのもつ幾つかの働き、その問題性を日本語の折衷語という特徴から指摘する。
まだまだ多くの指摘があるが、問題点についてはこのくらいにして、日本語の未来についての記述も抜粋しておこう。

・・・・「翻訳語としての日本語」「二重言語としての日本語」といった視点からは、まさしく、わが日本語の未来を考えるための基本方針が導き出されてくるはずです。そう、私たちは今後とも、あえて諸言語のはざまに身をおき、徹底してこの二重性を生き抜いていくこと、おそらく方針はそこに極まるだろうと思われます・・・(表紙より)